ども、横浜です。
モバイルオフィス環境を構築するために、YAMAHAルーターと格闘中。
windows7より、YAMAHAルーターのコンフィグファイルをまずバックアップしようとするが、コマンドプロンプトで、tftpを実行すると、「内部コマンド外部コマンド、操作可能なプログラムまたはバッチファイルとして認識されていません。」とのエラー。
どうやら手動でtftpコマンドを有効にしてやらなくてはいけないようだ。
「スタートメニュー」→「コントロールパネル」→「プログラムと機能」→「Windowsの機能の有効かまたは無効か」から、TFTPクライアントを有効にしてあげる。
どうやらこれで、tftpコマンドが実行できてとりあえず、現状のコンフィグのバックアップができた!!
STAFF BLOG タグ: Rails3.1 — Comments (0)
普通にやったら動かなかったのでハマりました。
結論はGemfileに以下4行追加でOK
group :production do
gem ‘therubyracer-heroku’, ’0.8.1.pre3′
gem ‘pg’
end
have fun
ども、横浜です。
今年、ひとつ自分のスキルとして身に着けておきたいことがあります。
それは、「ノマドリテラシー」。とはいっても、僕の言っているノマドは少々一般的な解釈とは違うかもしれません。僕自身が会社経営者ですので、セカンド、サードビジネスを意識するのは、真摯ではないと思っています。どうせ経営をするのであれば、全ての情熱をそこに注ぎたい。
しかし、クラウドやモバイルを駆使したどこでも東京と同じ具合に仕事ができるスキルは今後必ず(もうすでに)必要になっていると思っていますし、憧れの自分の将来像でもあります。
そこで、今年いっぱいでやれたらいいなと思っていること
- Readerを活用して、ニュース等のインプットが常に入って来るようにしておく。
- 消化するために、evernoteで思いついたらなんでもメモっておき、共有や活用ができる土壌(データ量や自分の行動自身)にしておく。
- iPhoneでも50%程度の仕事ができるようにしておく。全ては厳しいだろう。
- 極力紙の資料をiBooksにコンバートする流れを作っておく。
- プロジェクトは、ディレクトリ管理ではなく、GoogleProjectで一括管理、そして検索・共有を楽にしておく。
- もちろんメール・カレンダーもGoogleとiPhoneで。
- ポケットWiFi(10年前に尊敬するお客様が言っていたが、本当にネットは着るものになった・・・)。
- 社内極秘ドキュメントはVPN接続できるようにしておく。これはiPhoneでも可能にしておく。
- 移動は車が多くなるので、カーラジオから流れて来たお気に入りの音楽は、ShazamとポケットWiFiでゲットできるようにしておく。
- 車のトランクには、白いワイシャツとネクタイを常に置いておく。
(滝壺でマイナスイオン浴びながら、Pマーク資料作成。ある意味修行^^;)
サーフィンをしながら、仕事をこなす日もとう遠くはないと実感しています。
押忍、おおたです。
大量のデータの生成や取り込みで、別プロセスに処理を任せたい時、結構ありませんか?_?
DelayedjobやBackgrounDRbを使うのが常套手段ではありますが、
リッチすぎて使いたく無い病になってしまったので
「rubyのnativeな感じでforkしてみました。(長嶋風)」
class HogeCsvController < ApplocationController
.
.
.
#POST /create
#CSVファイルをいっぱいつくる
def create
#このdoブロックの中にプロセスをforkする処理を書きます。
fork do
exec "RAILS_ENV=#{Rails.env} #{Rails.root}/script/rails runner 'HogeCsv.generatel' > /dev/null"
end
end
end
たったこれだけで、別プロセスにて「CSVをいっぱいつくる処理」が起動します。
素直にDelayedJobつかえばいいやんって突っ込みは一先ず置いておいてw
個人的にはこのくらいがミニマルな感じが楽でいいなーと思ってます。
*どうにも/dev/nullにredirectしないとゾンビが大量生産されてしまうようです。もっとsmartな方法は無いものか。。
けど、これならナチュラルにphpとかCで書いたプログラムも呼べるし、
Workerとかいちいち作らなくていいし、結構いけてるんじゃないかなー。
そんな感じで、ぼつぼつ技術的なことも書いていこうとおもいました。
押忍
ども、横浜です。
先週末、宮崎県石巻市に行ってきました。弊社では被災地の方々に少しでも元気をといった内容で、下記のサービスを運営しています。このサイトに集まった全国からの応援メッセージを紙にプリントアウトして、現地の避難場所や小学校に持っていきました。
『みんなもてがきの応援団』 http://tegaki-ouen.com/

最初はどのような雰囲気なのかも想像がつかず、もしかしたら応援メッセージなどよりも物資が欲しかったりするのではないかと、様々な緊張もありましたが、純粋に喜んでいただき、そして学校の壁にも張ってもらうことが出来ました。引き続き『みんなもてがきの応援団』を通じて、応援をしていければと思っております。
下記、石巻に行った時のレポートになります。
必要だと思って持って行ったもの
- 作業着
- ゴム付軍手
- ゴーグル
- 防塵マスク
- 目薬
- 消毒液
- ウエットティッシュ
- ティッシュ
- タオル
- 下着の着替え
- 長靴
- 筆記用具
- 高圧洗浄機
また、渋谷でボランティア保険にも念のため入っていきました。
参加者
横濱、三宅、田原
日時
2011年4月23日から25日
感想
想像を絶する風景の中、一番印象を受けたのは、皆がすでに前を向き前進をしている。日曜日、月曜日ともに街の中には車が目立ち、せっせとそれぞれの復興作業を続けている。そしてすでに商売を始めているお店もあった。起こってしまった事よりもむしろこれからが重要なんだということを実感した。そして東北の人たちの強さを感じた。我々ができることは、とても限られていると思うが、少しでも復興の役に立てればと心から思った。そして毎日は行けないが、ボランティアと応援メッセージを現地に届けることを続けて行こうと思った。今回は3名で行ったが、徐々に参加する会社スタッフが増えてくると素晴らしいと思った。
<道中ログ>

土曜日の夜中、東北道で宮城県入り。石巻の看板が出てくると社内は一気に緊張感を増す。時速80キロぐらいで走れるものの、道路はまだ完全に復旧しておらず、50キロ規制がひかれている。また、節電もあり非常に暗く危険。
夜中のうちは暗くてよくわからなかったものの、日が昇ると景色は壮絶であった。また石巻漁港付近は砂塵が待っており、ヘドロと磯の香りが混ざっており、臭いがひどかった。
船が陸地に乗り上げている。テレビそのままの風景。
こちらは石巻第3漁港にて、タンカーが陸地に乗り上げており、遠くのタンクが斜めに傾いている。空には多くの海鳥やカラスが待っており、人の気配を一切感じない。
多くの自衛隊の車両を目にした。まさに景色は戦争である。
石巻市は、半壊と全壊の状態が混在する。
決して地震で壊れたわけではない。津波の恐ろしさを実感する。
少しずつではあるが、残骸が一か所にまとめられつつある。

地盤が沈下して満潮時にかん水する。車が半分ぐらいまで水につかり、1速でなんとか乗り切る。
東京育ちの私にはとても経験したことがない、水の中の運転。社内に水が入ってこないかと、手に汗を握った。この水は海水。満潮時街の一部は海と化す。
桜の下に、流された車が。なんとも言葉にならない景色。
このような重機が入らないと、撤去できない状況が街中に広がる。
社内に緊張が張り詰め、無言の時間が続く。景色、臭い、道路、どれをとっても経験をしたことがない。経験をしたことがないということがこれほど恐怖だとは。しばらく、石巻漁港沿いの道を走り、今回のボランティア先である、湊水産に到着する。日曜日は1日ここで窓ふきのお手伝いをさせていただく予定だ。



日差しは非常に強かった。みんなひたすら泥で汚れた、ふすまや障子や扉を清掃する。高圧洗浄機が大活躍した。『少しでも綺麗になってほしい、早く復興してほしい』。約40枚近くの泥とりを行った。
ゴミなんて1つもないんだ。泥まみれになっていたぬいぐるみを洗剤で洗う。どれをとっても、きっと大切な思い出がつまっているはず。そう考えると街の見方も少しはかわる。
湊水産から見た道路の風景。遠くに桜がきれいに咲く。
駐車場に流れ着いた、車。誰のものかわからない。
救援物資を持ってくる自衛隊。
ここは避難所に認定されていないため、自衛隊が個別に回って物資を支給している。街がこのような状況だがそこにはしっかりと生活とコミュニティーが存在していた。
よく日、今回の我々のメインであるてがきのメッセージを送る旅にでる。まずは、今回お手伝いをさせていただいた湊水産から近い、『渡波中学校』に向かった。
荒れ果てた校庭に咲くさくら。本来は入学式のシーズンである。
今は避難所になっている。
校庭から街を見た景色。目の前にライフラインである398号線が走っている。
渡波中学校はどこか他の中学校と統合されるらしく、もうここに生徒が戻ってくることはないらしい。今は避難所としての機能を担っている。避難所に待機していた、スタッフの方に応援メッセージを渡すことが出来た。是非壁にでも張ってもらい、少しでも全国からのメッセージが、皆様に届けばよいと思う。
そして、我々は女川方面に車を走らす。目指すは牡鹿半島の大原小学校だ。
ライフラインである国道398号線。まだところどころ切れ目や凹凸が残るものの、45日間で道路は走れるまで復旧をしていた。これで確実に物資が届くのだろう。震災直後ここに道路などなかったはずなのに、改めて日本人の再生能力の優秀さを感じる。
道路はきれいに整備されているものの、まだまだこの通り。かろうじて住居の土台が残りそこに生活があったことを感じることができる。この辺は石巻中心と違い、全壊の地区である。
海は思っていた以上にきれい。海上自衛隊が横一列に並ぶ。捜索作業を行っているのであろうか。綺麗な三陸の海には似合わない風景。
ここにも自衛隊の車が。村に物資を運んでいるのだろう。各入江ごとをつなぐライフラインはこの道路だけ。道路が復旧するまではきっと物資も届かない日が続いたのであろう。改めた道路の重要性を感じる。
これから向かう大原小学校の生徒たちが依然書いたという壁画。複雑な気持ちだ。
目的地である大原小学校に到着した。多少高台にあり、学校として機能していた。冒頭に掲載した写真をこの小学校の廊下に張る事ができた。早速子供がこれ何?って話しかけてきたりしてくれてとてもうれしかった。少しでもみんなに元気が伝わるといい。また、応援メッセージだけではなく、その他の食料や教育や遊びに必要な物資も持って行ったが、折り紙が一番喜ばれていた。
目的地である大原小学校に到着した。近くにある谷川小学校もここで授業を行っていた。
休み時間の校庭の風景。のどかな山の中に桜が咲き、子供が遊ぶ。子どもたちには元気さと笑顔があった。
ども、横浜です。
先週末、宮崎県石巻市に行ってきました。弊社では被災地の方々に少しでも元気をといった内容で、下記のサービスを運営しています。このサイトに集まった全国からの応援メッセージを紙にプリントアウトして、現地の避難場所や小学校に持っていきました。
『みんなもてがきの応援団』 http://tegaki-ouen.com/

最初はどのような雰囲気なのかも想像がつかず、もしかしたら応援メッセージなどよりも物資が欲しかったりするのではないかと、様々な緊張もありましたが、純粋に喜んでいただき、そして学校の壁にも張ってもらうことが出来ました。引き続き『みんなもてがきの応援団』を通じて、応援をしていければと思っております。
下記、石巻に行った時のレポートになります。
必要だと思って持って行ったもの
- 作業着
- ゴム付軍手
- ゴーグル
- 防塵マスク
- 目薬
- 消毒液
- ウエットティッシュ
- ティッシュ
- タオル
- 下着の着替え
- 長靴
- 筆記用具
- 高圧洗浄機
また、渋谷でボランティア保険にも念のため入っていきました。
参加者
横濱、三宅、田原
日時
2011年4月23日から25日
感想
想像を絶する風景の中、一番印象を受けたのは、皆がすでに前を向き前進をしている。日曜日、月曜日ともに街の中には車が目立ち、せっせとそれぞれの復興作業を続けている。そしてすでに商売を始めているお店もあった。起こってしまった事よりもむしろこれからが重要なんだということを実感した。そして東北の人たちの強さを感じた。我々ができることは、とても限られていると思うが、少しでも復興の役に立てればと心から思った。そして毎日は行けないが、ボランティアと応援メッセージを現地に届けることを続けて行こうと思った。今回は3名で行ったが、徐々に参加する会社スタッフが増えてくると素晴らしいと思った。
<道中ログ>

土曜日の夜中、東北道で宮城県入り。石巻の看板が出てくると社内は一気に緊張感を増す。時速80キロぐらいで走れるものの、道路はまだ完全に復旧しておらず、50キロ規制がひかれている。また、節電もあり非常に暗く危険。
夜中のうちは暗くてよくわからなかったものの、日が昇ると景色は壮絶であった。また石巻漁港付近は砂塵が待っており、ヘドロと磯の香りが混ざっており、臭いがひどかった。
船が陸地に乗り上げている。テレビそのままの風景。
こちらは石巻第3漁港にて、タンカーが陸地に乗り上げており、遠くのタンクが斜めに傾いている。空には多くの海鳥やカラスが待っており、人の気配を一切感じない。
多くの自衛隊の車両を目にした。まさに景色は戦争である。
石巻市は、半壊と全壊の状態が混在する。
決して地震で壊れたわけではない。津波の恐ろしさを実感する。
少しずつではあるが、残骸が一か所にまとめられつつある。

地盤が沈下して満潮時にかん水する。車が半分ぐらいまで水につかり、1速でなんとか乗り切る。
東京育ちの私にはとても経験したことがない、水の中の運転。社内に水が入ってこないかと、手に汗を握った。この水は海水。満潮時街の一部は海と化す。
桜の下に、流された車が。なんとも言葉にならない景色。
このような重機が入らないと、撤去できない状況が街中に広がる。
社内に緊張が張り詰め、無言の時間が続く。景色、臭い、道路、どれをとっても経験をしたことがない。経験をしたことがないということがこれほど恐怖だとは。しばらく、石巻漁港沿いの道を走り、今回のボランティア先である、湊水産に到着する。日曜日は1日ここで窓ふきのお手伝いをさせていただく予定だ。



日差しは非常に強かった。みんなひたすら泥で汚れた、ふすまや障子や扉を清掃する。高圧洗浄機が大活躍した。『少しでも綺麗になってほしい、早く復興してほしい』。約40枚近くの泥とりを行った。
ゴミなんて1つもないんだ。泥まみれになっていたぬいぐるみを洗剤で洗う。どれをとっても、きっと大切な思い出がつまっているはず。そう考えると街の見方も少しはかわる。
湊水産から見た道路の風景。遠くに桜がきれいに咲く。
駐車場に流れ着いた、車。誰のものかわからない。
救援物資を持ってくる自衛隊。
ここは避難所に認定されていないため、自衛隊が個別に回って物資を支給している。街がこのような状況だがそこにはしっかりと生活とコミュニティーが存在していた。
よく日、今回の我々のメインであるてがきのメッセージを送る旅にでる。まずは、今回お手伝いをさせていただいた湊水産から近い、『渡波中学校』に向かった。
荒れ果てた校庭に咲くさくら。本来は入学式のシーズンである。
今は避難所になっている。
校庭から街を見た景色。目の前にライフラインである398号線が走っている。
渡波中学校はどこか他の中学校と統合されるらしく、もうここに生徒が戻ってくることはないらしい。今は避難所としての機能を担っている。避難所に待機していた、スタッフの方に応援メッセージを渡すことが出来た。是非壁にでも張ってもらい、少しでも全国からのメッセージが、皆様に届けばよいと思う。
そして、我々は女川方面に車を走らす。目指すは牡鹿半島の大原小学校だ。
ライフラインである国道398号線。まだところどころ切れ目や凹凸が残るものの、45日間で道路は走れるまで復旧をしていた。これで確実に物資が届くのだろう。震災直後ここに道路などなかったはずなのに、改めて日本人の再生能力の優秀さを感じる。
道路はきれいに整備されているものの、まだまだこの通り。かろうじて住居の土台が残りそこに生活があったことを感じることができる。この辺は石巻中心と違い、全壊の地区である。
海は思っていた以上にきれい。海上自衛隊が横一列に並ぶ。捜索作業を行っているのであろうか。綺麗な三陸の海には似合わない風景。
ここにも自衛隊の車が。村に物資を運んでいるのだろう。各入江ごとをつなぐライフラインはこの道路だけ。道路が復旧するまではきっと物資も届かない日が続いたのであろう。改めた道路の重要性を感じる。
これから向かう大原小学校の生徒たちが依然書いたという壁画。複雑な気持ちだ。
目的地である大原小学校に到着した。多少高台にあり、学校として機能していた。冒頭に掲載した写真をこの小学校の廊下に張る事ができた。早速子供がこれ何?って話しかけてきたりしてくれてとてもうれしかった。少しでもみんなに元気が伝わるといい。また、応援メッセージだけではなく、その他の食料や教育や遊びに必要な物資も持って行ったが、折り紙が一番喜ばれていた。
目的地である大原小学校に到着した。近くにある谷川小学校もここで授業を行っていた。
休み時間の校庭の風景。のどかな山の中に桜が咲き、子供が遊ぶ。子どもたちには元気さと笑顔があった。
ども、横浜です。
島根県松江市のOSSやruby開発への自治体の取り組み、そして企業の動きを見学しに行ってきました。
日程:2011年4月14から4月16日の2泊3日
参加者:株式会社RAWHIDE. 横濱、吉見、三宅、株式会社スポーツITソリューション 前田
1)14日の19:30に羽田に集合し、米子空港に向かう。
2)渋谷→羽田 40分
3)羽田→米子(ANA) 1時間20分
4)米子→松江(連絡バズ) 45分
ドアツードアで、約3時間見ておけばといったところだろうか。
出発が遅かったため、松江駅前のホテル(松江ユニバーサル本館)についたのが、10:30ぐらいになってしまい、その日は4人で松江駅前の居酒屋へ。

(汁がとてもおいしかったが、料理名わすれた。。。)

(春が旬の牡蠣、サイズがでかい!)
この日は、4名で松江の料理と日本酒を堪能し、明日朝早いため早々に就寝した。
4月15日朝8:50にホテルのロビーで、島根県商工労働部産業振興課情報産業振興室の方と合流。この日の行程は全て事前に県の方が調整を行ってくれた。下記のスケジュールで松江市を回った。

(松江駅前の、オープンソースラボ)

朝一番に招待されたのは、松江駅の目の前にある、オープンソースラボ。ホテルより徒歩5分程度。ここで松江市産業経済部の方より、この施設についての説明を受ける。松江オープンソースラボは、近隣の企業やエンジニア、行政、そして学校の産官学共同でオープンソースについて研究する場である。説明を受けている中、産官学の距離が非常に近く、かなり積極的のここでラボが行われていることが印象的だった。平日は自由にこの場所を使うことが出来るらしく、NaClさんが事務局をここで行っているらしい。また、同じ建物の奥には、日立などが入っていた。日立はrubyに積極的に力を入れている。さすがというか、すでに松江市に機能を持っていた。
松江市にIT関連の会社(支社でも可)を設立し、最低3名の社員を常駐させた場合、家賃の半分を松江市が負担してくれ、残りの半分を県が負担してくれるらしい。実質無料だ。
そして松江市内にあるソフトビジネスセンターに車で向かう。

(IIJも、松江市にコンテナを持ってきたらしい)


(雨のソフトビジネスパーク)
山を丸ごと、ビジネスソフトパークとして利用している。残念なことに当日は雨だったが、大自然の中での開発はさぞ気持ちがいいのであろう。実際にここで開発をしているイメージを容易に持つことができた。また、レンタルオフィスにはシャワーなども完備されており、気分転換にランニングなどして人汗かくなど、都会ではなかなか体験できない日常を過ごすことが出来そうだ。何よりも空気がおいしかった。また、いくつかの大きな企業が山の中に、かなり広い敷地で建物を構えており、昔ロサンゼルスに行った時の風景を思い出した。

(ラウンジの風景)

(通路の風景、小オフィスが並んでいる)

(ラウンジの風景)
木材をフンダンに使ったロッジ風のレンタルオフィスでの仕事風景は我々にとっては非日常的で、あこがれを感じた。このような環境で開発や制作をすることが出来たら、さぞかしクオリティーも上がることであろう。また、1平米あたり、500円から2000円と金額もスタートアップ企業には手ごろな価格になっている。
昼食は松江市街の松江城の目の前になる、武家屋敷を改築した蕎麦屋に行った。松江城のまわりは今もなをこのような屋敷が多く残っている。

(中庭を眺めながらのそばを食う)

(かも南蛮、出雲そば)

(お堀の周りに続く武家屋敷)
出雲そばは最高に美味かった。また武家屋敷を再利用している雰囲気もまた最高だった。この辺はもと武家屋敷や古民家を改築しているお店が多い。ソフトビジネスパークのような環境もいいが、古民家を改築したソフトウェアハウスも捨てがたい。県の方々とそばを食いながら、色々な話をした。その中でも印象に残ったのが、『出雲・八雲・クラウド』だ。なんと強引な!っと思いつつも、IIJも引っ越して来たりなど、OSS、ruby、アジャイル、クラウドとなにか島根の勢いを感じた。
午後からは今回のメインである、この日行われていた『rubyビジネスモデル調査兼発表会』に、参加した。

(会場の松江テレサ)
県の援助のもと、数社が集まり実際にアジャイル開発を中心に、業務システムの受注から開発、導入までを行ってみた結果の調査結果となった。詳細は県から発表されているこちらの資料をご覧いただきたい。
http://www.pref.shimane.lg.jp/industry/syoko/sangyo/itsangyo/rubybiz_outcome.html
今回印象だったのは、レポートの内容が本気であることである。たまにありがちな片手間の調査結果レポートとは比較にならないクオリティである。自治体と企業が手を組むとこのような結果がうまれるのか。また、アジャイルに適した契約の発表のもあった。発表した弁護士はまだ32歳の若さ。アジャイル開発の契約にここまでコミットする弁護士に感動を覚えた。彼が発表していたJVモデルは弊社にとっても非常に興味深いところであり、東京で是非あって再度お話をしようと思う。
<感想>
3.11以降、私の周りでも企業や個人での考え方が大きく変わってきているような気がする。私自身、恥ずかしながら日本の復興に向けて自分が何ができるかと真剣に考えるようになった。日本全体で何かできないかと考えるようになった。そして、自分自身イメージしやすったことは、
1)東京に経済を集中させない。
2)地方でできることも多くある。
3)ソフトウェア開発はその最たるものだ。
4)各機能を東京から地方へ移すことにより、リスクの分散にもなるし、各自治体の経済効果にも影響を与える。
5)現地のリソースを有効に活用する。
今回の松江市の視察を終えて、この漠然としたイメージがかなり鮮明になったと思う。東京は東京でしかやれないことをやり、地方でできることは地方で行う。もっともっと、我々の得意分野であるOSS、IT、開発等を駆使してこのような事業運営を行える会社を今年目指し、同じことを考えている経営者たちのベンチマークとなりたい。そのためにロードマップを作成して、具体的にまず松江で話を進めてみようと思っている。
最後に、今回お忙しい中、行程の調整や、案内・動向、各関連企業様への紹介を行っていただけました、島根県商工労働部産業振興課の皆様、本当にありがとうございます。皆様のご厚意心より感謝いたします。そして、今回の見学が無駄にならないよう、引き続き東京で頑張らせていただくことを誓います。







