夢物語をつらつらと。
人間は道具に頼らずに生活をすると、自分の周りの情報だけを知覚します。
道具、例えば言葉、例えばノートを使った交換日記、これで他人が自分と一緒に居ない時の経験等を知覚する事が出来ます。
次に、交換日記をわざと落としたり、駅の掲示板やインターネット上のサービスを使うことで不特定多数の人の経験を認識出来るようになります。書籍やテレビ等もその類とみても良いかも知れません。コレが今のインターネットの限界かと思っています。
自分が複数の他人の経験を知覚する事は出来ても、体験は一人分です。誰かの経験談を聞くのもそれに基づいていろいろな事をしてみるのも一人分です。これが今のところの人間の限界かと思っています。
速読や、速記を身につけることで、一つ一つをすばやく短い時間で行う事は出来ますが、同時にする事は出来ていません。聖徳太子的な音声の解析は、脳のトレーニングをするゲームで体験出来ますが、あれはかなり複数人分の体験に近いかも知れません。コンピュータのキーボードを叩いたり、マウスを動かしたりしながら電話で話しをするのは同時に複数の行動をする事だと思われるかも知れませんが、それは口がひとつしか無い以上は一人分の話ですし、右手は右手の、左手は左手の分の仕事しか出来ないわけです。
何が言いたいかというと、自分を複数人、同時に発生させる事は出来ないかと。そういうことが言いたいのです。ひとつのブログに書いた内容を他のブログに自動的に写すなんて事はもう出来ています。しかしそれはただのコピーに過ぎません。
知りたい事を掲示板に書いておいて返事が来ても、読んで確認するのは一人です。色々な人が返信を重ねるうちに情報は淘汰されたり捻じ曲がったりするので、ある部分では一人ではないかも知れません。この先の人間の情報のやり取りはどうなるでしょうか?その先は、この次はどうなるのでしょうか。
私が考えるのは以下のような物です。
Aが来たらBを返す。Cが来たらDを返す。この作業は同時に出来ます。しかし人間が体験する事は予想できる事が全てとは限りません。では、AやCのようなものにBやDを返すための根本の考えEを記して置く。これならどうでしょうか?これが出来れば、複数のインプットに対して、複数のアウトプットが出来ます。または、FやGが入って来た場合に根本となる考えHを使って(IとJを生成し、さらにそれをあわせて)Kとしてインプットすれば、複数のインプットはひとつのインプットとなります。これが今私に見える次の情報の扱いの概要です。
SNSでもCMSでもない何かを考えていて出てきた物です。体を複数体作るのはもっと夢物語だと考えますので、今ある物からのアプローチを考えました。雑記で済みませんが今日はここまでで。

